親の介護を考える中で、「施設に入れるのはかわいそうではないか」と感じることもあるかと思います。これまで自宅で暮らしてきた姿を思い浮かべるほど、その選択に迷いが生じることもあるかもしれません。
この気持ちは、親を大切に思うからこそ生まれるものです。ただ、その感情だけで判断を続けると、現実との間で苦しさが増してしまうこともあります。ここでは、「かわいそう」という思いを否定せず、その中身を整理する視点を考えてみます。
「かわいそう」という感情の中身を分けて考える
「施設に入れるのはかわいそう」という言葉には、いくつかの異なる思いが重なっている場合があります。たとえば、自宅を離れることへの不安、家族が十分に世話をできていないのではないかという自責の念、施設生活そのものへの先入観などです。
まずは、その感情がどこから来ているのかを一つずつ言葉にしてみると、考えが整理されます。すべてを同じ重さで抱える必要はありません。
自宅介護が続かないこと=失敗ではない
在宅での介護が難しくなったとき、「最後まで自宅でみられなかった」という思いを抱くことがあります。しかし、介護は家族の努力だけで成り立つものではありません。身体状況や医療的な対応、見守りの必要性によって、環境を変える選択が必要になることもあります。
自宅介護を続けられないことと、親を大切にしていないことは別の話です。環境を変える判断も、親の生活を守るための選択の一つと考えられます。
施設生活で補えるものにも目を向ける
施設という言葉から、自由が制限される生活を想像することもあります。一方で、食事、入浴、医療的なケア、見守りといった面では、専門職による安定した支援が受けられます。
家族だけでは難しかった対応が整うことで、本人の体調や生活リズムが落ち着く場合もあります。自宅での生活と施設での生活を単純に比べるのではなく、それぞれで得られるものの違いを見ていく視点が役立ちます。
家族の生活が崩れることも見過ごさない
「かわいそうだから」と無理を重ねた結果、介護する側の生活が立ち行かなくなることがあります。仕事や家庭、健康に影響が出ると、結果的に親との関係も苦しくなりがちです。
家族が倒れてしまえば、支え続けることはできません。親の生活と同時に、介護する側の暮らしを維持する視点も欠かせません。
第三者の視点を取り入れる
感情が絡む判断ほど、家族だけで考えると視野が狭くなることがあります。地域包括支援センターやケアマネジャーに相談すると、介護度や生活状況に応じた選択肢を整理できます。
施設入所が必要かどうか、今すぐではない選択肢があるのかなど、状況に応じた見通しを一緒に確認することで、判断に伴う不安が和らぐこともあります。
「かわいそう」という気持ちを持ったまま決めてもよい
気持ちが完全に割り切れる状態で決断できるとは限りません。「かわいそうだと思いながら決めた」という形でも、その判断が間違いだとは言えません。
大切なのは、親の状態と家族の状況を踏まえた上で、今できる選択を考え続けることかと思います。一度決めた後も、状況に応じて見直す余地はあります。
感情と現実の両方を抱えながら進む
施設に入れることへの迷いは、親を思う気持ちの表れです。その感情を無理に消そうとせず、現実と並べて考えることで、少しずつ納得できる形が見えてくることがあります。
「かわいそう」と感じる自分を責めるのではなく、その気持ちを持ったまま、次の一歩をどう選ぶかを考えていくことが、長い介護の中では大切かと思います。
